このラボ研で、はっきりとは触れてこなかった禁断の領域?2つについて、私(鍋や)の自己紹介も兼ねて書いてみたい。

ひとつは、谷川雁のことである。
WEBで検索すると、谷川雁は、'65年のラボ教育センターの創設期から、専務理事、テープ制作室長等としてラボに関わり、'81年に退職し、ものがたり文化の会を設立、'95年に亡くなっている、という情報を誰でも得ることができる。
さらに、'81年というのは、ラボの分裂といえる事態がおこった年だったということも容易にWEBで知ることもできる。社長の榊原陽が「ヒッポファミリークラブ」を、専務理事の谷川雁が「ものがたり文化の会」をつくり、テューターやラボっ子も含めて、分裂したのだ。
これは、事実である。

この時期、私は高校生・大学生として活動していた。私のいた地区は、きっちり3つに分裂した。私のいたパーティは、谷川雁に共感しつつラボ教育センターから脱退しながらも、谷川雁についていくことなく、ものがたり文化の会には関わっていない。「分裂劇」にきびしく関わりながら、「分裂劇」からはみ出した存在として終わっている。これはひとえに、テューターの確固たる倫理観に基づく選択の結果である。
私自身は、パーティの最年長の部類として、テューターの筋道を通した話をじっくりと聞き、自分の活動の足場を自分なりに構築するように、「分裂劇」に付き合ってきた。たぶん、もうすこし年少のメンバーたちは、「どうして??」という思いがあっただろう・・・
とにかく、半分の半分くらいは関係者として「分裂劇」に立ち会った者として、この件については評価とか弁明とか思うところもないではないが、他の団体のことについてあれこれ無責任に評価・発言するのは控えたいと思う。別にラボから組織的にお墨付きをもらったわけでもないが、私はラボのテーマ活動をこのラボ研で語ろうと思っているのだ。

そして4半世紀が過ぎ、私は自分の子どもを、ラボに入れた。転居もしているので、私の過去のしがらみとは関係の無いパーティである。
じつは、この「4半世紀が過ぎ」の間に、谷川雁の死がある。
'95年2月2日当時は、私としては個人的に最大の人生の転機を迎えていたりしていて、気持ちはラボやテーマ活動のことから離れていて、谷川雁の死についても「ふ〜ん」という感じだった。
それに、このシーズンは阪神・淡路大震災やオーム真理教事件で大騒ぎだったこともあり、「ふ〜ん」という感じだったのだ。
だが、私のテューターは、谷川雁の葬儀にも参列し、「これでひとつの時代が終わった」と、その時点で言っていたことを、私は今になって思い出す。

話は前後するが、'80年3月に、私は第1回黒姫学堂に参加している。
事実として「分裂劇」より前なのだから、これは一応はラボの行事であったと言えるかもしれない。
黒姫学堂とは、黒姫の民宿(ラボランドではない)で、谷川雁の元に集まって、講義を聞いたりテーマ活動をする合宿だったのだ。
私も、他の参加者全員(たぶん)も、ある決定的な経験をして帰ってきた行事だった。
その時は、『国生み』のラボテープが発刊されたばかりの時だったので、作者から直接、みっちりと話しを聞くことができるという、大変な幸運にめぐまれたのだった。
これまたWEB上で得られる情報として、谷川雁に関わると碌な事にならないという類の話は昔から有名だったのだが、私は、「大変な幸運」と今でも言っていられるほど、少しだけの(丁度良い?)関わりだったのだ。
この関わりの中から、私は一定の敬意を払って、谷川雁のことを「谷川さん」と呼ぶことにしている。このラボ研のHPでも、そう表記している。
今、思うと、この黒姫学堂を核とした『国生み』のラボテープとの出会いとテーマ活動は、その後の私の人生に決定的な影響を及ぼしている。(その内容は、何よりもこのラボ研のHPで書くべきことなのだが、筆力及ばず、中途半端になっている。歯痒い限りだ。)

さて、谷川さんの死を、私なりに受け止め、このラボ研のHPとして情報を発信していこうと決意したきっかけは、ラボ40周年記念事業として出版された本、『ことばと自然』(鈴木孝夫、C・Wニコル)である。
これは、まあ、面白い本だ。まだ読んでいない人は、すぐに買って読もう!
その中で、ニコルさんが『たぬき』を書いたいきさつについて、「雁さんがいいと言ってくれたから出版になったんです。ラボはこれを忘れちゃだめなんです。雁さんの天才的な功績があったんです。」と言っている!!!
ラボ40周年記念事業出版の本で、ラボ教育センター会長が司会をした対談集の中で、こう書かれているのだ!!!
私はこれを読んで「これでラボは、谷川さんとの桎梏をもう解消したと宣言していると同然だ」と、強い感銘を受けた。
ならば、私も、谷川さんに影響を受けた者としてテーマ活動について発言しても良いのではないか、そう思ったことが、このラボ研のHPを作る、直接のきっかけだった。

さて、話は長くなっているが、ラボ研の禁断の領域(?)・その2は、英語(そしてその他の外国語)の問題である。
ラボの公式ホームページでも、「英語の世界」云々は、「物語」云々よりも先に出てくる、最大の「売り」である。
しかしながら、私は、ラボ研のHPでは、一貫して、英語の習得などのことについては触れていない。
たぶん、一番正確に言うと、私(鍋や)にとって、テーマ活動において英語の習得は、優先順位が低いのだ。私にとっては、それより先に語るべきことがありすぎる。
これは私個人の価値判断でしかなく、当然、誰に対しても何の拘束力もないし、誰に対しても英語の習得を妨げるものでもないと思う。もちろん、助けにもならないだろうが。
これはいろいろある中の1つであり、あれはいろいろある中の1つである、という話に過ぎない。
実は、私個人は、ラボっ子として10年ほど活動したが、その後、結局、それほど英語(も他の外国語も)ができるようにはなっていない、という事実がある。もちろんこれはラボのせいではなく、私が勉強しなかったその結果に過ぎない。
別に、そのことに不貞腐れているわけではない。ちょっとは恥ずかしいが、まあ、これが私の人生だから、仕方ないというか、それなりに面白がっている面もある。
とにかく、自分の子どもをラボに入れて、だんだん、テーマ活動の中で何となく英語のセリフも言ったり、ラボライブラリーを聞いていて英語もそれなりに聞こえていて何となく口走ったりしていることを、「成長した」と喜んだりしている、普通の保護者としての一面も私にはあるわけだ。(もちろん、「英会話ができるようにならないじゃないか」などとテューターに的外れな苦情を言ったりはしない。)
2番目の英語の問題については、私としてはちょっと腰が引けている面もあるけれど、読者の皆様のご意見、ご要望、苦情などあれば、メールを下されば、何とか対話の糸口を見つけて、このHPに反映したいと思う。



 2009.6.23.  鍋や


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